私のための「私」研究室

いわゆるブレインダンプ、ってやつですかね。そもそも「私」って何なんでしょ?

ということで、ここは「私」を私が研究する”「私」研究室”です。部屋は散らかっていますがご容赦ください。

また、仮に「私」を特定できても、そこはそっと見守ってください^^;

「自分を振り返ってみたら何かわかるかもしれない」というアドバイスをもらい過去の自分を掘り下げ中。

ブログ作業と並行しているので、ところどころ思い出し漏れがあり、時間との兼ね合いもありますが随時更新していきます。

幼稚園 時代

・歯医者になると言っていた

・褒めまれるとうれしかった

・マラソンが嫌いだった

・テレビゲームが異常に好きだった

・なんかの演劇で、自分一人だけ別の衣装でめちゃくちゃイヤだった

・特にそれを妙な説得で説き伏せてくるのがイヤだった。

この時から、人の話聞けよ!って思ってた

・大人に「〇〇する?」と聞かれると、否定できなかった。

断ったときもあったかもしれないが、否定したときに相手がイヤな顔をして、それを見るのがとにかくイヤだった。

・褒められるようにいい顔するように動いてた

小学校 時代

・幼稚園から小学校にいって、初めてみる同級生がめちゃくちゃ怖かった

・親に褒められるのがうれしかった

・親の目線を気にしてた

・弟が生まれてうれしかった

対親 勉強編

・テストで100点取れないと怒られた

・ケアレスミスをめちゃくちゃイジられた

・字が汚いと、それを指摘されるが、それがめちゃくちゃねちっこくてイヤだった

・本を読め、とよく言われた

・理由を聞いても教えてくれないことに不信感を持っていた

・答えられない質問でも、ごまかさずに向き合って会話してほしかった

・100点をとると、褒めてくれる

・親戚がやたら勉強のことを話してくる

・宿題しないと遊んではダメ

・ちなみに学校まで小学生の足で徒歩30分くらい

・勉強に執着する家系

・父方母方どちらも。父方のほうがすごかった

・100点をとっても、褒めた後で「おばさんのうちでも~~~で、、、」と基本的に誰かを比較に出してくる

・それがスーーーーパーーーーーイヤだった!

・俺の話をしてるのに、なんで誰かの子というの?それ今いる?と思ってたらしい。当時は言語化できてなかったが。

・小学校の通信簿は、一重〇、二重〇、三重〇を各項目に入れて評価するが、その三重〇の数をいとこと競わされた。

・いとこは、一つ上に1人、1つ下に2人と同世代。競うこと自体は嫌いじゃないが、相手は3人もいるし、優秀だからよく引き合いに出されて嫌味を言われた。

・大人になった今なら、軽い嫌味なんだな、程度だとわかるが、当時は地味にイヤだった。

・ただ、そのなんとなくイヤな気分がやっぱり言語化できなかった。親の言うことが100%正しい、と思っていた。

・小3だったか小4だったか、くもんと塾に行っていた

・くもんが本当にイヤだった

・何度やっても同じことを繰り返される

・その理由も全然納得できない。でも当時はそれが当たり前だと思ってた

・やるのが本当に苦痛で泣いてたけど、泣くと親父にキレられる

・マジで地獄だった

・新しい単元に進んだときはうれしかったが、同じ単元をよくわからん理由で3回も繰り返しされたら、そりゃイヤでしょ

・ちなみに、一つの単元というかレベルというか、それが裏表の計算で200ページあり、3桁÷3桁とかだと表裏に6問ずつ位ある

・それを200枚×3週とか余裕で死ねる

・最初から3週じゃなくて、ゴールと思ったら「はいもう一周ね」を2回繰り返される

・その単元だけじゃなくて、次の単元も同じ感じでやられるとね・・・もうね・・・やってられんのよ。

・算数と理科が好きだった

・国語と社会はつまらなかった

・塾はくもんよりはマシ。でもそこにいた連中がうっとうしかったりもした。ただ、その辺は誤差レベル。どこにでもいるやつらだし、どこにでもあるような良し悪し。

・親戚から送られてくる問題集を解いてた。その親戚は学習教材屋。

・夏休みの宿題は7月までには終わらせてた。どうせ計算ドリルとかだから、あの辺はできてたと思う

・夏休みテキストもできてた

・ただ、国語は別。書いてある文章が読めても理解できない。

・それを、読書しないからだ、と言ってた親に対して、勉強への不信感を持っていた

・なぜ、読書をするとそれができるようになるの?

・くもんの計算問題で、2周目3周目は、過去の問題を見てカンニングをするようになった

・だって楽なんだもん。でも、見つかると怒られるから、かなり神経使ってカンニングしてた

・くもんは時間がかかると怒られた。

・…こうやって振り返ると、なんで怒っているのかが全然わからん。小学生に倫理観とか、「ふつうは・・・」とかないでしょ。

・応えられない質問に対して、ごまかすのもモヤモヤしてた。

・弟のほうは、勉強がやや苦手で、それをからかっていた。ほんとにごめんね。

・「なぜ勉強するのか」「なぜ勉強を進めてくるのか」「なぜいい成績を取らないといけないのか」「なぜ周りは勉強勉強と言ってくるのか」。なんとなく頭の端っこに置くようにしていた。

・学校で国語の点数を32/100点だったときがあった。小2かな?

・問題を飛ばす、ということができなかった。なんかその問題にこだわってしまったらしい。

・次に行く、ということを覚えた

・小1か小2のとき、友達が何人か家に来たが、宿題をしないと遊んじゃダメ、と言われ、友達が自分の家で遊んでいるときに、一人で宿題してたことがあった。

・その中の一人に、漢字の宿題をやらせてトイレにいった。そのあと、チラッと遊んでるみんなにところにいったが、すぐにバレた。

・観念して、代わりに宿題してくれた友達の解答の続きから解いたが、友達の部分が間違いだらけだった。

・でも、こっちは人にやらせてたから言い訳できず。このときに、二度と誰かに任せることはしない。と決めた気がした。

・あまり、誰かをあてにしなくなったのかもしれない。

・授業参観はなんとなくよかったが、小3のときにかなり怒られた

・前日に予習したのに、ろくにできなかったから。あと、なんか授業中に親のほうをちらちら見てた気がする。

・それらがあいまって、帰ってからよくわからん説教をくらい、ビンタまでされた。・・・いや、よくわかるんだけど、そんなにいうほどか?

 

ここまで小学3年生位までか?

 

・なんだかんだで、面白くなかった勉強。「勉強」と「お勉強」という言葉に嫌悪感を持ちつつあるんだろう。

 

・とりあえず、いわれるまま勉強はしてた。

・ただやっぱり、なんでそうなるの?、に対しての回答はほしかった。

・あと、間違えるのが極端に怖かった。なんであんなに怖かったんだ?というか今もある。

・小学校では1番が当たり前、と言い聞かされていた。

・おじさん、おばさん、親戚皆そろって勉強で、1番が当たり前、と言っていた。

・できて当然、的な空気だったから、ちょっと成績が良くないと、空気がよくなくなる。あの空間はマジで嫌だった。

・小学4か5か、どっちか忘れたが、テストがマジでできなかった。90点以下だと、なんかネチネチぐちぐち言われるから、基本的に90点以上のテストしか見せなかった。

・だから見せたテストの枚数は全教科で6枚くらい?だっけ?とにかく10枚いくかいかないかくらい。

・親にも「少なくない?」と聞かれたが、なんかうまいことごまかしてたような。

・で、最後の方でそれがバレて理由を聞かれたから「見せると怒られるから、怒られない点数だけを見せてた。それ以外は細かく破って捨ててた」と言った。

・それに対してはあんまり怒られなかった。結構ビックリしてた。たぶん、親にとって意外な行動だったからだと思う。

・それ以来、正直に出すようにした。

・小4で公文はやめたっけ。英語と国語と算数やってたけど、面白くなかった。

・あとでわかったけど、公文は方針として教えてはいけない、なので、質問しても答えてくれない。で、わからないところがあっても教えてくれないから、全然進めなくて、いやでいやでしょうがなかったから、何とかやめさせてもらった。

・勉強に対してやたらに見栄を張っていた気がする。基本的に知ったかぶる感じ。

・授業での発言ができないとなんか落ち込んでた。ショックを受けてた、というかそんな気分になってた。

・小5のときに初めてカンニングペーパーを作った。めっちゃ勉強になった。

・しかも、全然役に立たなかった。

・確か作った科目がよりにもよって算数で、百分率が読めなくて、先生に聞いてもそのときは忙しかったからか答えてもらえず、そのまま作成の熱は冷めた。・・・・暗記系の科目にすればよかったのにね。。。

・もともと塾には通ってたが、近所の小さい塾だった。そこから秀英予備校という東海地区ではまあまあ大きい塾に通う。それが小6だっけ?

・ただ、通うが実家の近くの秀英は、対象の学校が違うから、言っても知り合いが一人もいない。

・親も、別にそれでもいいでしょ。的な感じだった気がするから、近所の秀英に行ってたが、アウェー感が半端ない。もうマジでイヤだった。

・なんもルールとかわからんし、休み時間とか誰ともしゃべれないし、宿題とかがどこなのか、何なのかも、暗黙のルールっぽいのかあったが、それも知らないし。

・というか、秀英のあの校舎の講師は、今考えるとかなり手抜きだよね。普通にありえん。

・この辺から「俺だったらこうはしない」というのを考えるきっかけになった。実際に塾講師時代ではしなかったと自負。あくまで自負だけど。生徒をほったらかすわけないじゃん。初めて来た、メイン学校でない生徒をほったらかすわけないじゃん。

・その校舎もイヤすぎて、やっと自分の学校の担当する校舎にしてくれたのが確か中1のとき。

・小3のとき、教科書忘れて、隣の子に見せてと言ったら、めちゃくちゃ嫌がられたのを覚えてる。俺、臭かった?

・怖かったが、そんなに知らない相手にそこまでイヤな表情出せるのもすげーな、ってかすかに思ってた。

・小4だっけ?音楽での決まりで、帰りの会で、オルガン使って一人1回は何かをひかないといけないとかいう決まりがクソすぎると思った。できねーし。

・小4のとき、ろうそくをつかった理科の実験で、ロウが滑るを知って、教室中にまいたっけ。正確には上靴の裏にロウの粉をつけて、スケートとして遊んでた。それが教室中に広がった感じ。

・小4でクラブ活動とか強制でやらされて、希望のところにいけなくて、太鼓クラブとかいう奇妙なところにいったっけ?

・太鼓を作ったり、演奏したり、なんだけど、音楽の時間に、大太鼓を使ってリズムを取るときに、太鼓クラブだからとかいうクソふざけた理由で、そんなできもしないリズをみんなの前で取らされたのを覚えてるわ。太鼓クラブ、もう一人いたのに、なぜか俺になった。

・〇〇関係だから、~~さんやってよ。は、友達関係とかフランクならいいけど、学校の先生が気軽にやってはいかんよ。

・リコーダーは歌よりはそこそこできたので、結構すぎだった。下手だけど。

・図画工作はよくも悪くもふつう。

・家庭科は好きなほうだった。主要科目じゃないから新鮮だった。それだけ。

・小3でロケット鉛筆。小4からシャープペンシルになった。

・鉛筆は小2まで。

・授業中の練り消し作成率の高さは異常。御多分に漏れず作ってた。んで、消しカスを友達に投げてた。もちろん投げられてた。

・小3小4でバトル鉛筆流行ってた。小5もギリあったかな?授業中に自作するのは当たり前。

 

・いとこの親が、学年が進むにつれて勉強の熱が高くなって、全然会えなくなった。

・小6で秀英の模試を受けるようになって、結構現実を知るようになった。少しずつだけど、勉強ができなくなってきた。

 

小学校の勉強は、あとは出てきたら追記で。

対兄弟 勉強

・いや、正直悪いことしてました。7つ下の弟がいるので基本的には比較してばかりだったが、向こうは向こうで必死なのにね。それをつぶすような感じばかりで。

・俺が理系が好きで、弟は社会が好きだった。歴史ものが特に好きだった。

・歴史系は父親も好きだから、話が始まると知識ゲームが展開されてイヤだった。

・歴史の知識は最低限でよかった。あとは調べればわかるから。

・イヤ、というのは、なんかその知識を知ってる知らないでバカ呼ばわりされたからか。教えれば済む話なのにね。と。

・ただ、小中学校のときは、弟に結構それをしてしまっていたかも。

・歴史系があまり好きでないのも、そのへんが多少あるかな。知ってる知らないだと、そうとうないたちごっこになるから、やっぱり知ってる人が強い。で、それは知れば済む話だから入れ替えが激しすぎる。つまり情報戦。これが正直ダルい。

・自分の中で、算数数学理科は、それが少ない科目だった。

・公式知っててもそれを使わないといけないから、良くも悪くも知識マウントが減る。

 

※小学校の残り、中学、高校、大学は鋭意製作中です

【新卒編】

【個人事業主 飛び込み営業時代】

【会社時代:FC本部 事務編】2014/9~2016/2

※これらは鋭意製作中です。

【個人事業主 編】2016/2~2018/7

・前職を逃げるように退職してから個人事業主として1年半活動する。

・フェイスブックのネット起業家の話を聞きに静岡から東京の両国に行く。なんかホストみたいなチャラチャラしたやつだった。まあ稼いでいるんだからすごい人なんだろう的なイメージを持っていた。

・それでもなんか変な可能性を感じた。が、ただただ情弱なだけだった私。

・入会金10万、月額1万5千円の内容。

・それでそのグループのビジネスの動画のコンテンツを視聴できる権利が得られる。

・当時は知らないことしかなかったので、まあなんか新世界だ!と感じていた。あの糞会社から解放されてこんなに自由に動けるなんて素敵だ!とかまで思っていた。本当に頭が花畑。

・ただ今振り返ると、その動画の内容は、当時でも調べれば出てくるようなものばかりだった。

・もう一つ同時期にネットワークビジネスの勧誘を受ける。

・これからは稼がないと!とだけ、何も勉強しない状態で焦っていたのでホイホイと受ける。

・ここでも思うが、方法だけこなしても何もできるようになんてならないわけで。そのネットワークビジネスも案の定できずじまい。

・前職の微々たる貯金をそこで大量に浪費する。

・その後、ネットワークビジネスはやらずネットビジネスをやるが、これも全然稼げず。まあ当然っちゃ当然で。なにも売るものもないし、売ろうともしていない。ただコンテンツを消費して満足している状態。それじゃあ、誰だって無理でしょうね・・・

・前職のときにお世話になった先輩が弁当屋をやっていたので、そこでバイトさせてもらって食つなぐ。このときは実家暮らしだったから何とかいけた。

・そんなとき、Facebookから1通のメッセージが。「話をしませんか?」だったかな?なんかそんな感じのメッセージをもらう。

・相手のプロフィールを見て、「月収150万達成!」「〇〇部門で1位を獲得!」とかなんかいろんな肩書を持った会社を経営されている人にメッセージをもらう!

・うおおおおおおお!これは!なんか流れが来たか?とかテンションが上がる。当然そんなわけない(笑)。

・情弱もここまでくると笑えて来るが、本当にこんな感じだった私はその人とメッセージをして、翌週にスカイプをすることに。

・スカイプ当日にその人と話す。なんかいろんなことをやっているようで、当時はとにかくすごく見えた。

・実は全然そんなことはないのだが、知らないって本当に怖いんだな。って今更思える。

・スカイプで話す。私は稼ぎたい。この人は稼ぎ方を知っている。「教えましょうか?」の一言。

・はい!キターーーーーー!もう一発でコロッといったわけです。もうその場でキャッシュカードで30万どーーーーん!!!!

・自己アフィリというものを知り、それで頑張れば30万なんてすぐバックできるから損はないよ。とかいう甘言。

・まあ、私が情弱なのでそれが悪いのです。

・ただ自己アフィリはいい経験になった。本当になった。少なくとも自分ではASPとか絶対に知りえなかったし、そういったビジネスもあり詐欺もあるということを存分に知れた。

・まあ、いわゆる高額塾に入ったわけです。

・高額塾に入っていろんな人に会うわけだが、会うだけ。本当に自分から学ぶことをしなかった。入っていれば何とかなる。いや・・・・何とかしてもらえると心の奥底で思っていたんだと思う。

・一向に稼げない。しかも何をしたらいいのかわからない。それを聞いて回答をもらってもそれが何なのかわからない。なんとなくわかったような感じだけど、それが結局何なのか。なぜ今稼げていないのか。どこを改善したらいいのか。そういった具体的な何か?といったものを、見つけてもらえると思っていたらしい。

・だんだんとその塾長が私に心を開いたのか利用しようとしたのか、それはわからないがいろんな雑務を頼むようになってくる。

・もちろん時給や成果給をもらうが、やっていることは社員そのもの。

・はじめは、なんか。あれ?これって?・・・まあいっか。と目をつぶる。

・塾は月に1回セミナーと称して集まってコンサルをする。その内容ははっきり言ってお粗末。コンサルなんて、一人数分で終わり。終始自分がしていることの説明をするだけ。その内容を説明するだけ。ググれば一発で出る内容を。

・この塾は最初はアフィリを押していたが、ある日中国輸入をし始める。

・商品リサーチを頼まれる。これは勉強になった。ただ、こきは使われた。

・商品リサーチをし始めて1か月くらいしたら、「アマゾンでうちの会社で店を出すから店長をやってほしい」と言われる。

・このとき、もう入塾して1年くらいになったかな。30万は頑張って返したが全然黒字にならない。正直いい加減に疑い始めてきたときに、この誘い文句。

・私は前職に、事務をしていた。フランチャイズ本部の事務である。なのでフランチャイズの仕組みや特徴を知っている。

・今回の中国輸入の店長の誘いは、まさにフランチャイズそのもの。

・フランチャイズは仕組み的に、絶対フランチャイザーが儲かる。今回私に来た誘いはフランチャージー。つまり雇われ店長である。町にあるコンビニ店長がそれに当てはまる。

・セブンイレブンのお店は、絶対に本部に勝てないのと同じ仕組み。

・私は稼ぐためにこの塾には行ったんだが?とさすがに目が覚める。遅すぎるがやっと目が覚める。

・なんか契約書みたいなものをもらった。目を通す。「ああ、前職時代に作ったものと同じだな。」だからどこがどうなのか。はっきりわかった。これは稼げない。

・当時やっていた中国輸入のリサーチは、1個単価が2千円未満のもの。ようは薄利多売ビジネス。

・めちゃくちゃしんどいんです。探すの。しかも売れても数百円行けばいい方。それをやっても元締め、ここでは塾長に行ってしまう。

・これではいかんでしょ!と契約書を仕組みに突っ込みを入れまくる。ついてに辞める宣言をする。

・ここで、塾長の態度が一変。もう本当に豹変ってレベル。まず口調が全然違ったからね。本当に自分の利益だけのためにやってたんだ。と思った。

・ビジネスだからそれでいいんだけど、それは塾生にすることではないのでは?と。外注しているなら問題はないでしょう。でも塾生は、あなたの手足ではないんですよ?。

・そんな意味を暗に込めて、契約書と向こうの言い分に対してすべて対処した。

・その時は、まあ完全論破でしたが、これは私に分があったでしょう。さすがに前職のフランチャイズ時代の経験が生きたわ。

・なんやかんやで高額塾をやめる。

・その時が個人事業主をやって1年くらい。

・塾時代に知り合った人とは、そのあとも連絡をする。

・じゃあ、ここで稼げるようになったか?というとそうでもない。

・まだまだ全然。おいおいこんなんじゃだめでしょ!

・といってもまだまだ戦術を追いかけている情弱。ちっとも進歩していない。

・全然勉強しないんですね。人間って。って本当に思う。この時の自分を今こうやって振り返ってみると、本当に稼げなくて当然だわ。これは。

・そのあと実は、自分で中国輸入をやろうと別の人のところに話を聞きに行く。

・当然勉強していない私は、行けば何とかなると思っている。

・いって話をきき、その人のグループの勧誘を受ける。何も考えずに二つ返事でOK。・・・本当に全く進歩いない。

・月6.5万だったっけ?なんか中国輸入を得意としているから、この月額でもしっかりやれば大丈夫!とかいってたっけな。

・まあやってみるわけです。その人たちのサポートを受けながらできるとかあって、そのサポートの人とやり取りするわけだけど、簡単な手ほどきを受けるだけ。

・まあリサーチ経験があるから、わかるはわかるけど、さすがに少なくないか?

・商品を選ぶ。それでいいかどうかを試す。それでよければ一気に仕入れて売る。まあこんな流れだが、一つ重大なミスを犯す。

・ちょうどこのとき10月くらいかな。そのときは中国が建国記念日のシーズンがあって、輸入業者ともども国を挙げて休業するわけです。

・私は、仕入れた商品で利益を上げないといけないわけですが、その商品自体が来ない。それは当然で業者が休みだから。

・でも私が入った中国輸入業者の月額はかかっていく。何もしなくても月額は6.5万かかる。

・その建国記念日でやく2週間くらい動けなくなる。あと北朝鮮のごたごたがあったかなんかでまる1か月商品が来ず。

・やっと来たお試し商品も、今回はダメだった商品。なのでもう一度リサーチして仕入れないといけない。

・しかし、私は利益がなく月額だけがかかっていく状態。もう資金なんて全くない。

・支払いはペイパルだったので、連絡して止めてもらう。当然輸入チームから連絡が来る

・「どうしたんですか?」と。

・事情を説明して、支払いができないからこれからバイトに行くので電話切っていいですか?という。

・向こうも察したのか「わかりました。いつでも待ってますね」と社交辞令を言われて、そこでおしまい。

・転売は資金が必要だ、それを身をもって体験した。

・しばらくはバイトと高額塾時代の知り合いとのアフィリで月10万前後の生活。

・そこで2017年を終える。

・そういえば、なんかこのときフリーランスブロガーとかがはやったっけな。ツイッター上で。

・いろんなブロガーがわんさかわんさか出てきた。

・それを見た私。何も学んでない私。「あっ、ブログって稼げるんだ!」「しかも初期費用が安いなんて、素晴らしい!」

・それに乗じてブログ開設。それが2017年の10月くらいかな?ちょうど中国輸入の人に電話で支払えませんといったくらいの時期。

・ここからブログ時代。

・まあただただ駄記事を量産するっていう愚行を犯していたのですが。

・オンラインサロンもはやったな~。

・とにかく稼ぎたかった。

・理由なんて知らん。お金がほしかったんだよ。お金に困らないでもいい生活をしたかったんだよ。

・お金なんて、ただの紙切れ、とかいろんなインフルエンサーが言ってたけど、そんなこと言ったって、生活できねぇんだよ!

・こっちはその紙切れがほしくてたまらねぇんだよ!

・と心の中でぶちまけながら、表面上では「ああ、お金は紙に価値が乗ったもの。ただの紙切れなんだ」とか念じだす始末。完全に末期。

・ブロガーのブログを読みだす。

・なんかオンラインサロンのブロガーがいて、そこのサロンに入会する。月2000円。

・ここでも情弱、無勉強。入ればなんとかなると思っていたわけです。

・ん?当然なんにもなりませんでしたよ。

・そりゃ、何もしていないんだから当然です。

・最初は無料ブログ。後から100記事くらいになったのでワードプレスに移行。その後も書き続けてアドセンスに受かる。

・アフィリリンクもはったりアドセンスもはったり、いろんな人のを研究して自分なりにやってみる。

・一応言っておきますが、ブログで収益出たんですよ。0円なんかじゃないんですよ。

・ちなみにブログを書いて合計記事数は180か190記事くらいだっけかな?

・一応かけるだけ書きまくってみたわけです。大体4か月くらいかな。

・その収益はなんと、アドセンスの400円くらい。

・。。。。。そうブログで400円を稼いだんです。

・。。。。。これ自体がどうなのか、どうしょぼいのか、しょぼくないならどうすごいのか、まったくわからなかった。

・ただ一つ言えることは、手元にお金が全然なかった、ということ。

・他人はSNS上でわいわいウェイウェイやっている。でも自分はよくわからんことをやって全然稼げない。

・自分の勉強不足が招いたんだろうね。詐欺にあい、時間を無駄にし、結局全然稼げない。もうよくわからないよ。。。。。

・個人事業主とはいっても、最底辺の極貧野郎。

・再就職もチラホラ見えてきた。ただ、まだこのときは絶対に再就職はしないと決めていた。

・前職の出来事が、私にとってあまりにもトラウマレベルだったから。あの教信者どもからの仕打ちはちょっとやそっとじゃぬぐえない。

・今これを書いている時でさえ、昨日のように思い出せる。鮮明に。あとでしっかり前職の暗黒時代を書くので。

・で、話を戻すと生活がきついんですよ。まだ実家暮らしだったし、両親から当然いろいろ言われるし。家にお金を入れているとはいえ、自分の子供がいい年こいて就業もせずになんかやっているわけだから。そりゃあね。

・転職サイトをついに見だす。

・そこで飛び込んできたエンジニアの文字。

・なんか月収80万だの、100万だのなんだのと夢のような数字ばっかりじゃん。これ。とばかりに見る。

・そういえばオンラインサロンでもフリーランスエンジニアがいい。って推しまくってたな。と思い出し、じゃあフリーランスエンジニアになろう、と決める。

・ただ、就職はイヤだったので、派遣という形でやろうと、派遣の登録をする。

・このときの私のスキルですか?はい当然未経験です。

・全くの未経験から、30過ぎのおっさんがフリーランスエンジニアとして登録をします。

・当然、相手にされません。

・求人を見ても20台までばかり。当たり前ですね。若い人に力を割きたいものです。

・「え~、このままじゃエンジニアとかになれないじゃん。」と考えて、未経験だからダメなんだ!じゃあ、スキルがあればいいんだ!と考える。そこでエンジニアの勉強を始める。独学で。

・このとき2017年の11月。あっ、先にいうとこのときの独学は一度挫折します。環境設定ができなくて進まないから。むずすぎでしょ。

・12月にもう一度チャレンジ。何とか動くようになる。

・私が選んだ言語はjava。

・スマホのアプリが作れたらいいな。って考えていた。iphoneとandroidoの2種類。私はwindows。じゃあandroidoだな!andoridoはjavaで動くらしい。

・ならandroidアプリを作ろう!とやってみる。

・未経験が何かアプリを作るのは、さすがに無理なので教材が必要だ。ということで私は動画を選択。Udemyから口座を選ぶ。12月の1か月間は独学でくそアプリを作る。んで派遣のサイトにアップとかしてみる。

・でもお声はかからない。

・う~~~ん、やっぱりまだスキルが足りないか?スクールとかに行って本格的に学んだほうがいいのか?と考える。

・でも、今静岡にいるしなぁ。スクールのほとんどが東京とか名古屋とかの都市部にある。通えるわけない。

・住み込むための資金もない。親の説得とかもあって超めんどくさい。

・それでもスキルを上げればフリーランスエンジニアに。そして月収100万円♪なんてまだお花畑な考えをする。

・ということで優先してスキルアップのためにスクールを考える。オンラインのスクールがあるらしい。

・ならそこで決まり。20万をクレジットでどーーーん。

・そこではjava言語を学習。さらに就職支援のセットでお得なプランに。3か月で学べて就職できる。すごい!お得!とかあったな。

・まあ、私はスキルを上げてフリーランスになるんだ!就職なんてまっぴらだね。なんて思ってた。

・現実は全然そんなことはないが、まあそれは上京編で。

・3か月でjavaを学習。そのあとは自分でandroidstudioを使ってアプリを作ってみる。

・なんかそれなりにくそアプリを量産していった。でも一向にお声はかからない。

・まあ実力不足もあって、相手にされていないだけなんだけど、それもわからないのでエージェントに直接聞く。どうやらスキルが足りないとのこと。

・これは、一度現場に入って現場のスキルを手に入れてからフリーランスになったほうが早そうだな。と思う。そこで転職を決意。

・業種はエンジニア。なんかかっこいいじゃん。それでお金ももらえて最高じゃん。俺の人生もやっと光が来たか!?と妄想している。

・職を探す。エンジニア未経験で探す。いろいろあるが、どれも東京しかない。これは静岡離れて東京に行くか。しかなかった。

・んで、選ぶ。その仕事がSES。当時SESが何なのか全然わかってない。

・まあとりあえず就職決定。あとは仕事するために東京でどうやって暮らすかを考える。

・今の資金。そしてバイトで稼げる額。いろんなものを考えて家賃とかをシミュレート。何度も何度もシミュレートする。

・物件を探しまくる。どこにするか。なんかピンからキリまであるが、どうするか?など

・結局選んだのがシェアハウス。そして上京へ。

【社会人(上京編)】2018/7月~2019/3

・社会人になって上京。2018年7月に。

・「エンジニアって転職サイトとかに月80万円!とか書いてあるし、42万くらい楽勝でしょ」とか思って稼げるかと思ったからなってみたが、それはSESだった。

・SESとしての最初の仕事はテレアポだった。

・その後、テスターとしての日々

・SESの面談で、クライアント先行く途中でエージェントに「日曜日も出てくれ。早く仕事を覚えたほうがいいだろう」と言われたとき、いい年してそいつに殺意を覚えた。お前が決めるな!と。

・低賃金。都内最低賃金の生活。それでもエンジニアになってフリーなら月収7~80万が手に入る♪と夢見て生活。・・・そんなことはなく現実は現実だった。

・上京するのに借金を42万する。クレジットカードのキャッシング枠。

・住まいは都内のシェアハウス。月5万、電気ガス水道こみこい5万円。

・寝室は共同1部屋に4人。2段ベッドの下が個人スペースで上が寝床。

・シェアハウスは共同なので、生活音は目をつぶらないといけないが、生活音がどうしても気になる。

・最低限のハウスルールがあるも、それすら守れない人物が自分の部屋の4人中2人がそれに。

・なぜかそいつらに目の敵にされる。・・・私の生活音がうるさかったらしいが、それはお互い様でしょう。

・夜中2時3時に寝室のど真ん中でゲラゲラ話をする同室人たち。

・共有スペースを占領したり、部屋のドアを閉めなかったり、雨降ってるのに窓開けっぱなしにしたり、夜中にスマホのタップ音を鳴らしたり、アニメの音をダダ洩れにしたり・・・etc。

・生活は1日200円生活

・もやしはデフォ。納豆は高級品。

・水は沸騰した水道水を。

・米のコスパが最高。

・仕事の給料が安すぎるため(都内の最低賃金:技術が伴わないうちはそれ。技術に応じてインセンティブがつくが、未経験は都内最低賃金。2018年7月の時点で手取り15万)

・帰ってプログラム勉強する。

・筋トレもする。毎日公園に行って腹筋と懸垂とスクワットした。

・体重が58kgをキープしつつ、体脂肪を落とした。

・10月にシェアハウスの住人ともめる。いい年して。

・もめたその日以来シェアハウスには極力近づかない。引っ越しを決意した。

・5日間ネットルーム生活。その間に転職活動もする。

・その5日後、シェアハウス移動。

・移動後のシェアハウスの住人は最高。聖人の家か!?と思うほどだった。

・そしてもう一つ、10月から転職活動開始。さすがに安すぎて生活ができない。

・転職活動しながらハウスの住人との摩擦。

・摩擦が起きる前に、シェアハウスの本部に相談。でも何の解決にもならない。

・住民ともめる前に、シェアハウスの本部と一悶着。完全なクレーマーです。でもいい多少はね。という正当化でここは。

・前職のブラック企業の経験から、シェアハウスの出来事をエビデンス(証拠)をとるようにしていた。期間は8月から10月の3か月間。録音と写真と録画。

・ちなみにシェアハウスの部屋代は、電気月水道共益費込みで49800円。渋谷まで電車で12分のところ。最寄り駅まで徒歩10分。条件だけなら最高。条件だけならね。

・ハウスの移動にレンタカーを使用。シェアハウスとはいえ、引っ越しは引っ越し。めっちゃ大変だった。

・11月の1か月間だけ、もう一つのシェアハウスで生活。

・ここの10月のまとめを。10月に転職活動、住人ともめる、シェアハウスの移動、引っ越し先の物件探し。

・引っ越し先とは、シェアハウスをやめて一人暮らしをするため。

・わかったことは、私はシェアハウスは無理だった。ということ。

・どうしても自分の空間がほしい。空間とは、すべて。空間も音も風呂もキッチンもトイレも何もかもです。

・転職活動をするために、リクルートを筆頭に、様々なエージェントに申し込む。もう片っ端から。

・そして初回面談を受けまくる。

・とりあえずエンジニアを希望していくが、やはりテレアポをしているだけの未経験な30代だからなかなか希望通りにはいかないらしい。

・リクルートの面談セミナーに参加する。目から鱗なことを得る。当たり前なことなんだけど、それを気づかせてくれた内容だった。

・転職活動開始後、申し込みをするも、ことごとく初回審査落ち。条件を厳しめにしすぎが原因。例えば月収40万以上とか(笑)

・譲れない条件は残しつつ、面談申し込みして面接までこぎつけたのが3社。申し込みだけだと50社とかあるかも。

・その3社のうち2社に合格。

・セミナーの内容をしっかり活かせた結果になった。

・次に引っ越しについて。11月に別のシェアハウスに一時避難。

・その1か月間に不動産屋さんに相談して部屋を探してもらう。

・これも厳しい条件をお願いする(笑)・・・今考えるとかなり無茶でした。ごめんなさい

・見積をもらう。約30万。当然借金します。

・11月の時点ではまだ給料は手取り15万。

・引っ越しを決意したのは、シェアハウスに月5万払って、自由が抑制されるなら、あと数万払ってその自由を買う。そんなイメージ。

・結果、家賃6.5万の部屋に12月から住むことに。

・11月頭に転職面接に合格。

・12月初日から転職が決まったから、当時の会社に退職の旨をlineでする。

・代表から会って話がしたい、と来たが、退職についての話なら既にラインで伝えた通りなのでそれについてなら時間がないのでしません。と伝えた。←正直ガキの理屈ですが、時間がなかったのでまあ。。。

・担当の営業さんから「さすがにそれで、はいOKです。とはならないから」と言われた。『まぁ、そりゃ、そうっすよね・・・』と思いつつ、時間と場所はこちらで指定。近所のコーヒーショップで話をすることに。

・退職の話をするときは、終始お金がないからやめる、と伝えた。これがすべてなので。

・会社の環境が嫌だから、とか仕事時間が多い、とかそんなのではなく、給料が少なくて生活ができない、と伝える。

・向こうも応戦する。「時間とかはありましたよね。」「ええ、時間はありますがお金がないので生活できません。同じ内容で多くもらえる仕事があればそちらを選びますよね?」とまあ、こんな感じで私を引き止める決め手にはならず。退職決定。

・11月末に会社を退社、そして12月3日から次の会社へ。

・11月末の土日を使って、引っ越しと退社の準備と入社の準備と引っ越しにあたっての住所変更の手続き(書類)などをする。

・12月からついに念願の一人部屋。もう最高かよ。ただ、布団はあるがベッドと収納とか机とかそういったものは何もない。シェアハウスだったから用意されてたものだった。

・上京時に42万の借金する。12月に引っ越すために30万くらいかかる。そこから生活品を諸々用意するために約12万かかる。借金84万に。それ以前の借金(情報商材とか)とかもあるからまあ軽く100万は超えているよね。。。

・ただ転職先の給料は月に手取り20万くらい。この時点で給料が5万増える。年収にして60万UP

・一人の空間を手に入れて年収が60万UPとか最高かよ!←そんな単純なものではないが、まあそこはご愛敬。

・転職先もSES。まだこの時点ではエンジニアが儲かるんじゃー!と思い込んでた。

・ただ、薄々感じてきていた「俺、プログラム、あまり向いてないんじゃ・・・」と。

・プログラミングだけがエンジニアのすべてでない、とかありそうですが、コーディングがなかなか好きになれていないのはこの時点では確か。

・なぜ、エンジニアになりたいのか、を再度考えるようになった。

・転職サイトの「フリーランスエンジニア月収80万」とかの数字だけをみてエンジニアになろう!と決めた。

・エンジニアというより、月80万という私にとって未経験の異次元レベルの数字がポイントだった、と思い出した。

・そんなときに、マーケティング、に触れるようになる。

・Twitterでマーケターのかたのグループに入り、マーケティングに触れるようになる。

・マーケティングの本を読むようになる。読んだのはUSJのやつ。

・12月の段階ではまだ、本を読むだけ。一応興味あるけど。。。くらいにしか思っていない。

・とりあえず本業のSESをこなし、副業でできればいいかな。と思うようになった。

・副業をするにも、以前もやってたし全然稼げなかったからまたやるのつらいなぁ、とか寝言をいって始めない。

・新年を向かえる。2019年心機一転、とかは思わない。でも2018年、いろいろあったので、いい加減によくしたいとは思っている。

・1月に新現場へ入場。現場が銀行系の仕事なので、オフライン環境。スマホとか原則禁止。つらい。。。

・プログラム、向いてないと自覚しつつも、現場では学びながら。と思っていた。でも1月からの現場の仕事は、完全に独自のシステムを使用。ほかには応用できず。

・応用するにはそれ相応の知識が必要で、当然まだこの時点ではそんな力がない。

・どうでもいいが、現場のエンジニアのほとんどが猫背。覇気が全然ない眠そうな顔ばっかりしている。

・半分が太っている。

・部屋が暗い。実際に暗いし雰囲気も暗い。最低限の明かりしかないので、明るくない。そのため空気も雰囲気も暗い。

・猫背エンジニアのコミュ障っぷりが半端ない。なんか「なんでそんな言い方するの?」って言い方する人が多い。

・会話をしてもなかなか通じない!?なんでそんなに?と思うがこれは私の伝え方が悪い証拠。彼らはその技術のみを生かしてこんな空間にいる。私はこれでもそこそこ外の世界に触れているので、それなのにそんなコミュ障エンジニアに任せないでこっちから。

・とはいってもやっぱり難しい。説明を聞いてもなかなか頭に入らない。それを何度も聞くと申し訳ないと思う。でもやっぱり腹が立つ。

・腹が立つのも相手にzと思ってもやっぱり自分に対して腹が立つ。

・残業が続く。定時が前職とは比べ物にならないくらい早い。頑張れば18時は家に着くくらい。

・しかし自分の能力の問題で最近の帰りは20時を超えるのが普通になってきた。

・ただこんな時間になってもまだ前職の名残が体に染みついているんだろう。そこまで辛くない。

・理由は主に人間。そして時間。

・愚痴、文句、正当化、さぼり、恐喝、脅し、あざけり、洗脳、、、、etc。これらがマジであった前職と比べると、ホワイトすぎてまぶしい。逆光で暗く見えるのか!?

・まず、人の話をしっかり聞いてくれるのが驚き。対外質問があったときは怒るときだった。しかも「そんなことで怒るなよ・・・」ってことばっかり。

・具体的なことを1ついうと、昨日は「〇をしないと効率が云云かんぬん・・・」。そしてそれを守って〇をこなすと「なんでそんなことしてるの?△って見ればわかるじゃん」という。要するにそいつのその時の気分で結果が変わる。当然わからん。

。それに対して文句をいう、質問する、意見をいう。これらをすると4~5倍になって文句が返ってくる+すねて質問に答えなくなる。作業内容がわからないから、そんなことは死んでもできない。帰れないから。

・なんか前職の話になっているが、前職編の前に個人事業主編に。

 

【2019年7月、8月:初現場から2つ目の現場へ、そしておませこ入会へ】
※鋭意製作中

【2019年3月から7月まで:初現場編】
※鋭意製作中

【2020年4月~:今の現場編】

・プログラミングのコーディングができずに、保守の現場へ異動。

・ちょうどコ〇ナが蔓延し始めたとき。2020年3月に志村けんがコ〇ナで他界した時期。

・この時すでにプログラミングしては希望は見てない時期。コーディングが無理すぎる。

 

【2021年】

※鋭意製作中

【2022年4月~7月まで】

・4月と6月が繁忙期。繁忙期でかつ、新サービスなどのリリースが重なるため、かなりのハードスケジュール。

・いくら保守の立場で現場優先でもいろいろ限界があるでしょう。今までそれがあたりまで、給料もらえて有給取れてボーナスもらって通勤時間が短く、電車が空いてても、これが続くのは限界。

・こちらのスケジュールがいとも簡単に崩れるのが耐えられん。

・現場のスケジュールかつ、メンバーの体調も考慮に入れるのがかなりのストレス。

・現場にいないといけないのがネックなら、そこを回避できるような場所に行くしかない。

・とりあえず、今の現場はそれができない。

 

【2022年7月~現在まで】

※鋭意製作中